高知酒造について

水質調査で高く評価される仁淀川

日本酒の素となる仁淀川

仁淀川は、国土交通省による水質調査で高く評価され、2011年から2020年までの10年間で8回「水質が最も良好な河川」として日本一に輝いています。

この仁淀川水系で日本酒を作っているのが、約140年の歴史を持つ『高知酒造』です。

高知酒造では、仕込み水はもちろんのこと、すべての製造工程で仁淀川の水を利用して、酒造りを行っています。

140年以上愛される土佐の酒

高知酒造の建屋

1883年(明治16年)、高知酒造の前身の蔵元にて "瀧嵐" の製造がスタートしました。ここに、高知酒造140年の歴史が始まりを迎えます。

戦前から多くの蔵元たちが培ってきた熟練の技術を守り、今に受け継いでいます。

良質な水を求めて3度の移転

仁淀ブルーと言われる水質との出会い


時は太平洋戦争真っ只中の1943年(昭和18年)。

戦局の様相もだんだん厳しくなったころ、各産業に対する企業整備により、日本酒メーカーの半数が転廃され、高知市・長岡郡・吾川郡・土佐郡の1市3郡の酒造家28社が統合することとなりました。

戦後すぐ、酒蔵周辺の水質悪化の問題に2度悩まされ、3度目にして理想の水質を持つ『仁淀川』に出会い、現在のいの町勝賀瀬に落ち着くこととなりました。

近年、NHKスペシャル「仁淀川 青の神秘」で、仁淀ブルー(NIYODO BLUE )として全国に本格的に紹介もされました。

歌人に愛された銘柄「瀧嵐」

瀧嵐


瀧嵐 このうま酒を酌む時の 恋にもかも似る 酔心かな(吉井 勇 作)

吉井勇は、明治時代に「明星」に短歌を発表して注目された歌人です。

また、瀧嵐(仁淀川)は、高知酒造の代表的な日本酒ブランドの1つです。

1886年(明治19年)、鹿児島藩士吉井友実の孫として伯爵家に生まれた吉井勇は、早稲田大学政治経済科を中退し、新詩社に入社します。

与謝野晶子や北原白秋、石川啄木らと時代を共にした吉井勇ですが、家庭内の不和や実家の没落なども重なって、失意と人間不信にさいなまれた時期がありました。

しかし、知人らの協力で高知県香北町猪野々に草庵「渓鬼(けいき)荘」を構え、ほぼ自給自足の生活を送った約3年間で、酒と湯と山里の素朴な人情にも救われ、見事な復活を遂げたと言われています。

高知の生活の中で吉井勇は、高知酒造六代目・九代目の社長(伊野部昌一)の父・伊野部恒吉を「酒麻呂」と呼び、親しくしていました。

吉井勇が猪野々の地に心惹かれ草庵をここに作りたいと恒吉に話した時も、ちょうど酒蔵の裏手にあった隠居所を取り壊すので、その古材木を持っていって建てたらどうかと譲り、それが土台となって渓鬼荘ができたということです。

恒吉と酒の縁による歌を数多く残している吉井勇。

なかでも上述の歌からは瀧嵐をこよなく愛したことがよく伝わってきます。